「君は本当に優しいな。さすがにこんな私でも好きな人の前では綺麗にみせていたい」
困った表情のまま優しく微笑む先輩。
水気を含んだユニフォームが肌に張り付き、プロポーションを際立たせている。
のどを伝い、形の良い胸に向かって滑り落ちてゆく一条の汗。
その動きに魅了され、先輩に見詰められているのに気付かなかった僕は慌てて目を反らす。
「桐生先輩はいつも、今も綺麗です……」
「君はいつも私の心を惑わせる。今も寄り添いたい気持ちを自制するのが精一杯だよ」
先輩はタオルを握り締め、こちらを見詰めていた。
「……あの、汗拭かないんですか?」
「そうだね、拭かないと……」
一歳年上だとは思えないほど大人びた桐生先輩。
平凡で冴えない僕が隣に座ってること自体おかしいくらいだ。
「……今日は、陸上部に顔を出す前に君の教室に向かうつもりだった」
先輩は目を伏せて呟く。
「その途中で顧問の先生に捕まってしまってね。そのまま連行されてしまったよ」
僕の顔を上目遣いで見上げると、口元に苦笑いを浮かべる。
「でも、君の方から私のところへ来てくれた」
安堵するかのような優しい微笑み。
中学生の頃から憧れだった先輩に、こんな表情で見詰められるとは夢にも思わなかった。
「今日はね、君が来てくれるまで酷い記録しか残せなかった。でも、君が見ていてくれると
わかった瞬間、全身に力が湧き上がって個人記録を塗り替えることができたよ」
ありのままの僕を認めてくれる。でもそれは先輩との距離が更に離れるような気がする。
「でも…… 僕はこのままじゃ駄目なんです」
先輩は唐突に飛び出してきた僕の発言に眉をひそめる。
「今の僕は何もしてない。こんなことじゃ先輩に相応しい男になれないんです」
それを聞いた先輩は真剣な瞳で見詰めてくる。
僕が発した言葉をかみ砕き、その真意を読み取ろうとする。
先輩には簡単に理解できただろう。
けれど、一つとして間違った意味に読み取らないようにと、真剣な表情で。
「わかった。君がここまで昇ってくるのを待つよ」
知っている限り、僕にだけ見せてくれるすべてを許容する微笑み。
聖母というのは先輩のような人だったんじゃないだろうか。
「でも、待つといっても君が成長する手助けくらい許してくれるよね」
「え、それはその……」
「今 私が頑張れるのは正行くんがいるから。君がそばにいてくれないと今までのように
頑張ることができないんだよ」
そう言って僕の手を優しく握ってくる。
「……その、僕が先輩に相応しい男になったら正行と呼び捨てで呼んでもらえますか?」
先輩はゆっくりと力を込め、しっかりと手を握る。
「正行、君は今 私のために立ち上がってくれた。既にこれ以上相応しい人はいないよ。
他人の評価なんて気にしないでいい。二人で誰にも恥じない関係を作り出していこう」
「はい、先輩。頑張りますので宜しくお願いします」
その言葉を聞いた先輩はおかしそうに笑う。
「先輩じゃないよ。綾華と呼んでくれないと対等にならない」
「……綾華先輩」
「先輩と付けるのは、今の私たちに相応しくないね」
「綾華さん」
唇に人差し指を押し当て考え込む。
「……今はそれで我慢しようか。いつか綾華と呼び捨てにして欲しいな」
そう言うと軽く腰を浮かせて近づき、唇を重ねてくる。
綾華さんの香りに包まれて唇に柔らかな感触が広がる。
「ごめん、汗をかいていたのを忘れてた。不快な思いをさせるつもりじゃなかったのに」
運動後だったことを思い出し、その表情に影を落とす。
「全然不快になったりしません。ただ、こういう場所でキスするのはちょっと……」
「正行は優しいな。 では、人目の付かない場所なら私も我慢せずに済むのかな?」
心底嬉しそうな綾華さんの笑顔を見ながら、僕はこれから先のことを思い描いていた。